山陰線沿いの山23 日吉~嶽山~人尾峠 例会


2017年1月29日 山陰線沿いの山23 日吉~嶽山~人尾峠 例会  男1名 女5名 計5名   

日吉に着くと一面雪だった。殿田トンネルをぬけて左折、桂川の沿いの道を東へ歩く。雪に囲まれた日吉温泉の施設が見えた。宮ノ元から林道を登って行く。いきなり積雪40cmほどの雪道で、倒木もあり、所々踏み抜くところもある。
あえぎ登ってやっと天若湖(あまわかこ)や日吉ダムが見渡せる尾根の展望所に出た。ここまで来ると雪は少なくなった。アベマキ並木の尾根道は遊歩道と言った感じで気に入っている。前にピークが現れたが、迂回ルートを行った。雪は深くすべり落ちそうで木の枝にしがみつきながら必死に切り抜ける。これはまずかった。
前方に電波反射塔が見えてこの先がP621である。P621の雪の中で昼食になった。もう下山しようかとも思ったが、嶽山までは行くことにした。防鹿網の外側を登っているようで足場が悪い。ピークを超えると林道にでた。 林道から左手の丘に上るとそこが嶽山(だけやま)の頂上である。二等三角点嶽山(点名 中世木村557.8m)があるはずで、雪を掻いたりして三角点をさがしたが、見つからなかった。
下りる道をさがしながら嶽山の麓を左周りに進んだ。分岐を見落としたようで、林道を追っていくと行き止まりになった。元にもどることにした。東への道を行った。
嶽山城の砦が繋がる痩せ尾根を歩き、一旦鞍部に降りてP520まで登り返した。ここ嶽山城址は、築城年代は定かではないが、宇津頼高の時代(1470年頃)に宇津城を築き、宇津嶽山城はその支城となったとも考えられている。P520から平均斜度は29°の直線の急坂であり、おまけに掴まれる木も少ない。前に切通しが横切っている。屈み込むと、雪に埋れているが、お地蔵さんの頭と思われる黒いものが見えた。雪を払うと確かにお地蔵さんである。「人尾(ひとのお)峠」にやっと着いた。人尾峠には安倍貞任の腰から下が埋められているそうで、腰の病気を直すといわれている。安倍貞任は前9年の役に敗れて処刑された(1062年ごろ)。享年44歳、身長6尺(180cm)、胴回り7尺4寸(220cm)という大男だったようで、7つに切り裂かれて葬られたという。
 すると雨が降り出した。早く下山しなくてと思い、距離の短い上谷に通じる府道に下りることを決めた。ただしこの道は廃道である。おびただしい倒木を跨いだり潜ったりしながら、かすかな道跡を辿っていく。雪は深くなり、なんども踏み抜く。雪の上に顔をだしたイバラにからまれて難渋する。下に谷川が見えた。はじめは雪のために高巻きでないと進めない。今度はおびただしい倒木が行く手を塞ぐ。あせらないで、足元をストックでつきながら、踏み抜かないようにして、1本1本、倒木を越えて行く。予想外に時間がかかり、薄暗くなった。記憶に残っていた大きな岩があらわれた。その横には道がり、橋もかかっている。中世木川にかかる橋が見えた。やっと車道に出られた。無事脱出できて、皆さんの努力に感謝した。雨が本降りになった府道364号線を1時間30分歩いて日吉駅に着いた。反省すべき点が多かった。  報告:Mr.Mashi.tasu


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