近江の山城を歩く 鎌刃城址


2017年3月22日(水) 近江の山城を歩く 鎌刃城址

 戦国時代の近江国は、佐々木六角氏が湖南を、京極、浅井氏が湖北を支配という分国状況であったと言われる。その境目に位置したのが、鎌刃城であった。国境警備を目的とする山城は他にも多く構えられたとのことである。築城の創設は不詳だが、戦国期城郭として重要な位置を占めるとして、国史跡に指定され、今なお発掘調査が行われているという。
 昨年11月に雨天中止にした例会を再挙行した。本日は風は冷たいが、まずまずの天気である。米原駅東口(10:05)から今回はJRのそばを北上し、米原高校方面への分岐信号を右折して、馬場の宿へと向かう。(10:30)梅やサンシュウが満開で、良い香りを運んでくる。送電線の手前辺りから雪化粧の伊吹山が良く見える。馬場宿のバス停を右折し、すぐに摺針峠方面への分岐を左折し、蓮華寺の手前で右折して、ようやく地道になってきた。名神下の㊺ガードをくぐり、林道から右手の尾根に取りつく。以前は無かった道標が増えて、番号が入り乱れていたりで、戸惑いもあったが、迷うことなく城跡に着いた。
 主郭部の手前の広場の「桝形虎口」の石囲いで、昼食をとった。風も止みお日様も出て、正面に伊吹山のどっしりとした山容を眺めながらの談笑も楽しいものだ。4年前の例会時には無かった木組みの見晴らし台や、防火用水?「水の手」と称して、桶にホースで水が引いてあったり、改めて地元の力の入れようを感じた。
 山頂主郭部に上がると、真新しい石柱「鎌刃城址」があり、記念撮影。右手から、城の本来の水の手の「青龍の滝」への道筋も整備され、滝下まで下って、見物し、登り返して林道を㊷のゲートをくぐって、元の道に戻って解散した。
 長らく「近江の山城」「近江の里山」のシリーズ例会を楽しませていただいたSLのMr. Shiさんとは、今回で30回目の例会となりました。2人だけのときも、また46名の参加の時もありました。たくさんの思い出を作ることができました。これからは、不定期にご一緒することにして、一区切りしたいと思います。紙上をお借りして恐縮ですが、Mr.Shi さん、そして参加してくださった方々に心からお礼申し上げます。
   Ms. Ue No


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