歴史古道を繋いでⅡ 東高野街道④: 京阪郡津~京阪野崎 (ノルデック・ウオーク)


2016年12月5日 歴史古道を繋いでⅡ 東高野街道④: 京阪郡津~京阪野崎 (ノルデック・ウオーク)

今朝から徐々に晴れ模様、京阪郡津駅に9時半、参加者全員集合しスタート。
 下見は3ヶ月前(その後、2回雨天中止)
都市整備された道の先々で迷いながらも、まず「本尊掛松遺跡=岩清水八幡宮より天筆阿弥陀の本尊給わった由、本尊を傍らの松に掛けて、その周囲を踊り回った、念仏踊りの発祥の地と言われる」。
 「ねや川、文化と歴史の道」に入り辻毎に大きく古い石標が立っており、右 宇治、左 八幡、南 かうや等の道しるべが彫られてる、また「一里塚(どこから?)」昔は交通の要衝地で在ったことが偲ばれる。
 京阪星田駅近くに「大正天皇御来所記念碑」は10坪位の立派な囲い塚もあった。
 東寝屋川駅手前に「打上の弘法井戸=日照り続いても涸れず、高野山へ通じる街道で多くの人々が喉の渇きを癒した」そして
「四ツ辻=南北に東高野街道と東西に奈良伊勢道の交差点」の道標も逢った。
 次に「和田賢秀公墓=楠正行公が四條畷で敵将、高師直の大軍と戦い討死、この時同氏も討死、歴戦の勇将の立派な墓」。
 今日のメインイベント、四条畷神社の大鳥居を潜り参道を詰め、次に石段101段?で背中が暑くなった、安全登山を祈願して神社の横から入り、木製階段の連続で踊り場毎に休憩するも息切れ、汗ダラダラ(昨夜の雨で蒸している)、やっとの思いで頂上(315m、飯森城跡=尾根筋に各郭が並んでいた)に辿り着くも言葉も出ない歳だね!
 でも所々に名残りの紅葉が癒してくれた。
展望台から大阪市内を一望、阿倍野ハルカスも見られた。
下りは野崎の竹道を一気に下り、野崎商店街に着いた、お疲れ様でした。
天気に恵まれ多くの史跡を巡り、歴史を学び、最後に飯森山登頂で一汗も二汗も流し、若さを取り戻した?一日でした。
(Y)


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